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コラム

銀座アンティークギャラリーのコラムのページです。

マイセンの陶磁器について

ヨーロッパでは、長い間白磁の製造技術がなく、中国や日本などから磁器が長い航海の末、船で 輸入されました。当時の船旅は大変過酷なもので、命をかけて運んできました。それゆえ、磁器の 値段も高く、その白磁の製造技術を錬金術師たちが解き明かそうとしましたが、なかなか見つけ出 すことが出来ませんでした。

しかし、ザクセン選帝侯であり、時のポーランド王であったアウグストはヨハン・フリードリヒ・ベドガー (1682-1719)やチルンハウスらにより、1710年頃にその秘密を解き明かしたと伝えられます。  その後、1730年頃から本格的に磁器が製造されるようになりました。初期は特に中国や日本の磁 器への憧れから中国の絵柄や日本の柿右衛門のような絵柄が作られました。その後、ヨーロッパ独 自のスタイルを取り入れ、プーシェ(Francois Bouccher 1703-1770)の田園風景やルヘンダスの戦 闘図、港湾図などを描きました。

マイセンの最盛期は1756年ごろ(その後、7年戦争に入る)と言われます。その後のマルコリーニ 候がマイセンの指揮をとった1774年頃からはセーブルをはじめ、他の窯の力に押され衰退期にあり ました。1816年頃からマイセンは商品を大量生産するようになり、以前より多くの作品が作れるよう なりました。

今、市場で流通しているマイセンの多くは19世紀の後半以降の作品がほとんどです。現在のマイ センと1880年頃の作品を比較してみると、白磁の質と釉薬の技術は現在の方が勝っていますが、 絵付けの技術と色の深みは現在の作品には出せないものがあります。しかしながら、今日までマイ センは手作りの技術を守り、他の窯が機械化を進めるなか、マイセンの伝統である、すべて手作り で、作品を作り出していることには驚きます。

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