マイセンのマーク・窯印について
マ イ セ ン の マ ー ク に つ い て
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マイセンが使用している双剣のマークは、現代では広く世界に認識されています。
マイセンの創成期においては、1722年にチーフ・ペインターのヘロルトが、
M.P.M という、マイセン・ポーセリン・マニファクチャ(英語)
Meißen Porzellan Manufaktur (独語)の頭文字から取ったマークが
窯のマークとして使用されました。その他にも、K.P.Mやカイト(たこ)、
AR(アウグスト王のイニシャル)などのマークが付けられました。
そのマーク、特にARマークはのちに1870年頃から、ドレスデンの絵付師Helena Wolfson,
Leo Meyerなどに真似をされ、一時は裁判沙汰になりました。
さて、有名な双剣マークですが、これはSaxon RulersのCoat of Armsのシンボルを
利用したもので、同じく1722年に使用されています。1730年頃には様々な双剣マークが
使用され、これといった双剣マークの形が決まっていませんでした。そして、この時代には
およそ3分の1がノーマークで販売されていたようです。
その後、各時代で、双剣のマークの間の下部にドットを入れたり(キングスピリオド1763-74年)、
スターを入れたり(マルコリーニ期1774-1815年)、ローマ数字のⅠ, Ⅱを入れたり(1817-24年)
していました。
1850年頃からは、ポメル・スワードと呼ばれる、いわゆるボタン剣という、双剣の根本が
丸いドットになっているマークが入りました。このマークは、マイセンの第二次黄金期のもので、
ヨーロッパが繁栄しマイセンも景気のよかった時代であります。1850-1924年まで使用され
良質の手工芸作品が生み出されていました。
1910年には、200周年記念マークを付けたり、1924-34年には双剣のマークの上部に
点をいれて、ファイファーマークといわれるものを付けたりもしました。
1948年以降になると、ほとんどの作品にマイセンの双剣マークとともにイヤーマークが
インプレスされ、年代特定がしやすくなりました。
今でさえ、有名なマイセンですが、1810年頃はナポレオン戦争のせいで
工場が閉鎖に追い込まれるほどになってしまった時期もあり、その頃は白磁だけを
他に販売したり、絵付けのレベルも、良いものと悪いものが混在していました。
また、二級品扱いの品がこの頃から多く出回り、多くのマークの偽物も世の中に
流通してしまい、マイセンの商品の信頼が薄れていました。
1875年には、トレードマークとして双剣マークを登録しましたが、
今でも偽物は作られています。
文頭にもございます別紙(ご参考資料)に銀座アンティークギャラリーにある品のマーク資料がございます。
簡単な資料ですが、マークを見る参考にしていただければと思います。
また、この説明は大まかにしていますので、何かご質問がございましたら、
メールにてご質問くださいませ。